▲経済的にチベット「援助」の実態は資源の搾取2001年7月17日、胡錦涛国家副主席が率いる中国中央政府代表団がラサを訪問した。これは1951年の「チベットの平和解放に関する協定」締結から50周年に当たるので、その「祝賀」行事に参加したものだ(「侵略支配」を「平和」と言い換える中国の図々しさ!)。 胡はチベット書記時代にラサ暴動を軍を出動させて鎮圧し、多くのチベット青年を拷問のすえ獄中死させた張本人だが、それ故に北京中央の「覚え」めでたく、異例の出世と遂げた。 01年6月下旬に北京で開かれた第4回チベット工作会議で「チベットを現代化建設の前列に進ませる」方針が決まった。あまりに開発の遅れたチベットを放置すればするほどに人心の荒廃が進むとの懼れからである。中央政府は新たに312億元(約4500億円)をチベットに投資するとした。青海ー西蔵鉄道をはじめ、ゴルムトーーラサ間に鉄道を敷設(これだけで三億三千万元の予算)するなど合計117のプロジェクトを進めている。 これは「チベット住民の生活向上」が目的とされるが、実際には工事のために夥しく入植する漢族、とくに独身の中国人達へのアパート建設などに投じられており、羊、やくの毛皮なども漢族の商売人が流通ルートを独占している。とはいうもののダライ・ラマ14世の影響力は依然として絶対的なもので、漢族のいう「平和」とは「チベット侵略と支配の恒久化」でしかない、と多くのチベット民衆は認識している。 チベットの篤実な民が健忘症にかかり、北京に擦り寄って、長年の中国共産党への怨念、その暴力支配への恨みを物質的な文明プロジェクトで晴らすことが出来るなどと北京の考えることは、あまりに非精神的で、即物的過ぎる。ただしロシアに「タタールのくびき」があるように、嘗て吐番(チベット)は現在の雲南、四川、青海から内モンゴルにかけて支配し、元と組んで漢族を挟み込み、西安を軍事陥落させた。漢族にはそのとき以来の「吐番のくびき」が潜在的メンタリティに内在するのは事実であろう。実際に内モンゴルから寧夏回族自治区、青海省を連続的に歩いてみると、紛れもなくこれらは「チベット文化圏」である。随所にラマ教寺院があり、黄みがかった茶色の僧衣をまとう若い僧らが、そこかしこで経を読んでいる。 参詣客は絶え間なく続き、信仰は完全に蘇っている様を読みとれるのだ。かように漢族のチベット族への支配は表向きの融和、事実上は巧妙な民族差別がある。 たとえばレストランへ入る。といっても観光客の入れるような清潔な店はラサ市内ですら、数えるほどしかない。入り口は貧しい身なりのチベット人が楽器を弾いたり、土産を売りつけようと必死でまとわりついてくる。ポタラ宮では少女に足を捕まれ、ずっとまとわりつかれて苦笑いをする観光客が何人もいる。食堂の経営実態はと言えば、季節的な漢族の経営者が内地から一族郎党をごっそりと引き連れて、観光シーズンだけの商売に来ている。カフェも簡易旅館も、土産屋、民族舞踊館など、みなそうだ。聞くと重慶、成都からの商売人が多く、食堂の味はチベット風味は少ない。どれもこれこれもなんとなく四川風だ。麻婆豆腐、キャベツの肉入り、小龍包、殆どがチベットらしからぬ辛さ。もっとも土地の産物はじゃがいも、裸麦、菜の花くらいしかなく、野菜、牛肉などは中国内地からの「輸入」に依拠している。スイカまでそうだという。▲漢族vsチベット民族との心理的溝、職業的差別土産屋も大概が漢族の経営で、季節労働者がワンサカ、内地から押し寄せる。 一方、チベット族の土産屋は国営なのか、売り子は客が入店してきても、一瞥するだけでまったく売る気がなく、客をそっちのけで賭けトランプに興じている。従業員同士がカネをかけている。絵画、仏画(タンカ)、仏像、絨毯などチベットの名産はところ狭しと並んでいる。絵はがきが隅っこに置かれている。いずれもなかなかの値段で、高価なタンカが無造作に飾られている風景に出くわすと他人事ながら万引きにあったらどうするのか、こちらが心配になる。タクシーは九割方が漢族の運チャン、人力車は対照的に99%がチベット族と見受けられた。要するに就労チャンスは圧倒的に漢族が有利なシステムが作動しているようだ。 米国人相手のレストランやカフェが多いのは、それだけ欧米の観光客、それも長期滞在者が多いからで、アメリカ人女性が経営する名物料亭「DUNYA」では、店の名をプリントしたTシャツまで売っている。それも一枚68元! チベット人は手が出せない金額だ。 ポタラ宮は写真でイメージしてきた印象より遙かに実物は高く、複雑な宮内となっていて、やはり所々にパンチェンラマの写真のみ。休憩室には江沢民の揮毫がかかっている。屋上にきて写真を撮るのは外国人だけで、チベットの巡礼者らは黙って経文を唱え、階段の脇をすり抜けてゆく。途中、立入禁止ゾーンから扉が突如開かれて、なかから漢族の武警察がぬっと顔を出す。寺の所々は公安警察は悠然と、かつ公然と見張っているのである。郊外にあるセラ寺へも行ったが、この河口恵海が留学したことで有名な名刹もパンチェンラマの写真だけだった。ダライラマの瞑想した室が残るデプン寺はもっと郊外にあるが、台所に巨大な圧力釜があって写真を撮る場合は入場料とは別に十五元も要求される。観光ずれが甚だしいが、何処にもダライラマの肖像さえない。こうして中国はチベットの正当な「歴史」を懸命に塗り替えた。 (この紀行文は、近く写真を十数葉加えてHPに再録します)。
(評論家 宮崎正弘氏のメルマガより)
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